social suicide ~余談と脱線がメインコンテンツ~

食べこぼしたご飯粒がカピカピになって貼りついてるポロシャツみたいなブログ

美人は諸刃の剣である。と思う。多分。違うかな。人によるね。ごめん。

「盛る」

 

なんて言い方が定着したようにも思える今日この頃ですが

 

なんですな

 

美人てのは難しいですな

 

 

どーも生きづらい世の中ですが

 

美人に生まれちまうと

 

それが余計に盛られるようで。

 

 

ま、どうやら聞くところによるとそうらしいって話ですよ?

 

あたしゃ、鏡を見たって、

目と鼻と口がついてるなーぐらいなもんですからね

 

 

いま言ってるのは、ある中途半端な美人を自称する友人と話しての雑感です。

 

 

どうやら中途半端な不細工ってのは

まぁ化粧なり、振る舞いなりで

ある程度カバーできて

むしろプラスに持っていきやすいような気が私はするんですが・・・

 

それに比べて

 

中途半端な美人ってのは

ただ普通にしているだけで

やっかみだったり、妬み嫉みにぶつかるそうなんですな。

 

友人は学生時代なんかに随分と痛感したようで

なんもしてねぇっつーのに嫌われるようなところがあるそうなんです。

 

曰く、「突き抜けた美人ならば

どんな鋭い刃も弾きかえすようなパワーがあるんではないか?」

と、さもありなんですがね

 

 

「美人」というのはそれ単体でかなり強烈なパワーを持ってるので

例えば、ある個人のパーソナリティを挙げていく場合において

どーんと「美人」という特徴が鎮座してしまって

他の特徴が隠れちゃうという諸刃っぷりを発揮するのではないか。

 

 

 

少し噛み砕くと

 

美人という特徴は、とりあえずわかりやすい。

 

だから、だいたい真っ先に挙げられてしまう。

ゆえに他の特徴は二の次になってしまい

美人の陰に隠れてなかなか見えなくなることすらあり

美人は美人であるということ以外の特徴を対外的に失いがちなのではないかい?

 

だって、私の友人だって

美人であるということ以外にすんごいイイトコというか

特徴はいっぱいあるんだ。あるんだす。

 

でもその素敵な特徴は、言葉にすると形骸化するような感覚があって

少し曖昧にしておきたいなーと感じるのもあり

 

今ここである意味、問題提起しているにもかかわらず

結局「美人の友人」としか言い表さず

その問題を打ち破らないことによって

 

このぼんやりとした「理論」の証明としたいなーなんて。

 

 

これが現時点においての私の「ぼんやりコラム 美人・諸刃の剣論」なのであります。

 

 

(今思いついたのですが、ちゃんとしたコラムニストだったら

 もっとしっかり書くところを、へろへろーっと

 骨子なり論旨なり論調なりを定めないまま書く

 コラムの種を種のまま発表しちゃうのを

 ブログのカテゴリーにしようと思います。

 ぼんやりコラム?ぼんやり論?ぼんや理論?コラムの種?

 それすらぼんやり定まらず。)

 

今後わたくし、ぼんや理論派として華々しく埋もれようと思います。お粗末。

 

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