social suicide ~余談と脱線がメインコンテンツ~

食べこぼしたご飯粒がカピカピになって貼りついてるポロシャツみたいなブログ

この感覚はなんなのか

世の中色々なことが起きていて

 

その全てを把握なんて出来ないので

 

自分の興味があるものだけを

選り好みしてしまうんだけど

 

それすら追い切れないほどに

興味深かったり面白かったりするものが

溢れかえってしまって

 

作品として手に入れたり観たり読んだり

しようにも先立つものがないし。

 

もう逆に「俺の文化大革命」と題して

全部諦めて、捨てちゃって

 

瞑想でもして暮らそうか。

 

なんて。

 

 

なにせ

何を観ても読んでも聴いても

10代に感じた感動みたいなものを

今になって超えられると思わない。

 

ファッションの流行が繰り返すように

すべての文化的なものは焼き直しに

過ぎない気もして、90年代ぐらいまでで

一周した気がする。

 

そのはじまりがいつだったか

なんてわからないけど

おそらく1800年代の後半。

ほんとは資料を当たりたいけど

今は寝床なのでしない。

 

漠然とした予想だけど、100年ぐらいであらかた一周してると思う。

 

現在はというとアナログだったものをデジタルへ技術的に変換してるだけの時代な気がしてる。

 

デジタル技術が成熟してきて

アナログで撮ったり録音してた最高潮の時代に追いついてきた。

 

デジタルでアナログと同じように作れるよ!

 

だからなんだよ。って思う。

 

手で描(書)いてたのをパソコンで出来るようになった。スマホで出来るようになった。

 

コストや人手がかからなくなることで

裾野が広がることはあろうと思う。

 

でもなんか、グッとこないんだよね。

 

方法や数が増えただけで、感動の度合いは増えてないもの。

 

 

100年も経てば人は死んじゃうんだけど

 

原作、監督、脚本、撮影、照明、主演、助演、なんやかんやのほとんどが死んじゃってるような映画をディスプレイの中で今でも観られたりして

 

新作映画より心が動いちゃうんだもの。

 

それはなんでなの?

 

技術の進歩なんて意味無いんじゃないの?

 

時代が進むことってやっぱり退化なんじゃないのかな。

 

なにが違うんだろう。

 

1枚の原稿を書くのにも

1枚の写真を撮るのにも

1シーンの映像を撮るのにも

1曲を作るにも

 

関わる人数や費やされる時間と緊張が減ってると思う。

 

時間のかけ方が変わってるだけかもしれないけど、キワキワの研ぎ澄ました一瞬の戦いみたいなものは絶対に減ってると思う。

 

趣味でフィルムカメラのシャッターを切って、現像を自分でやったりしてたんだけど、高いし、時間かかるんだよ。ほんと。めんどくさいの。

スマホでバシャバシャ撮る感覚では出来ないんだ。

 

500円ぐらいでフィルム買って24枚撮って全部失敗とか当たり前だし。貧乏人には出来ない趣味だなと思ったのと現像用の薬品が手に入らなくなってやめちゃったけども。まぁそれは余談として。

 

 

やり直しができるメリットは、間違いを直すことだと思うんだけど

 

そのせいで、そもそも間違わないように考えたり練習したりする時間が圧倒的に減ってる気がする。

1個を作り出すのにする緊張感も減ってる。

 

とりあえず完成できちゃうんだもん。

 

失敗を恐れずにとりあえず作れる自由さも素敵だけどね。

 

なんでも簡単になっちゃったおかげで、よほど思想というか念というか想いを詰めこまないと素晴らしいものは出来ないと思うんだけど、はっきりいって先人を超えることは出来ない気がするよ。

 

 

価値があるとしたら、同時代性にそれが見いだせるかどうか、楽しめるかどうか。人を愛せるかどうかだと思う。

きっと100年後に残るものはもうあんまり生まれないと思う。

 

掘り起こして、手を加えて、どうだ!?

 

っていうヒップホップ的手法がすべての文化に影響を与えていて、それがなんでここまで浸透したかというと、ゼロから物を産むのはとても大変なことだし、ひとは何かを作る時に影響を受けるものだし、そもそももうゼロから物が造られるということ自体が終焉を迎えているからなんだと思う。

 

新しいものなんてもうないんだよ。

やる人が変わるだけ。

 

ヒップホップ的手法って言ったけど、サンプリングと言い換えてもいい。

 

直にまんま持ってくるのと、フレーズを弾き直すってのは違うんだけど、本質的には同じ。

その手法自体が目新しかった時代は終わってしまって、ひとつの方法として定着しちゃった。

 

※音楽だけの話じゃなくて、手法として映像にも文章にも芸にもあらゆる文化に通ず。

 

その手があったか!みたいな発想の転換みたいなのはありそうだけど、本当の意味で新しいものなんてもう生まれない…のかな。たぶん。

 

 ただ、ほら、人だけは確実に新たに生まれるから、その人が何をするか、どう変化していくかみたいなものが楽しめればまだまだ面白味も未来もあると思う。

 

ヒップホップ家系図 vol.1(1970′s~1981)普及版(ソフトカバー)

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