Facebookをだいぶ前にやめた。
何にも共感しねーと思ったからで、仕事上やらなきゃいけない事が自分のプライベートを侵食することなんかは、嫌悪しかなかった。
Instagramもずーっと全然やってなかった。
家で頭抱えたり、天井のシミを見つめるぐらしいか出来ないときに、飲み歩いたりライブに行ったりしてるバカどもを見るのは精神衛生上よろしくない。
100人ぐらいつながってるけど、ほんとに話が通じる友達は2人ぐらい。まぁ十分だ。
昨日、雨宮まみさんが亡くなった。
それほど熱心な読者ではなかったし、本も一冊読んだかな?ぐらい。
でも、彼女の書くものには何度も共感した記憶がある。
観聴きしてきたものが近いんじゃないかな?と思う。
見ていたい、居て欲しい存在だった。
訃報をうけてから、自分の感情のうねりのようなものを抑えきれないで、昨日は1日落ち着かなかった。
しかしそれが実は不思議で仕方ない。
今の今まで、それほど雨宮さんを大好きだって自覚がなかったからだ。
昼に訃報を知って、少しLINEで友達と話したあと
山に行ったり、自転車のタイヤを換えたり、乗ったり。
気付いたら古着を5着も買って家で突っ伏してた。
夜になって改めてTwitterを見た。
タイムラインには彼女の死を悼む人々のつぶやきがたくさん流れてきて、ああ彼女は自分を形成する一部だったんだなと今更ながら気づいた。
同時にTwitterの居心地の良さを感じたりして。
最近今後の人生について考える
子供を作る気がなくなった。
どうやって生きていこうか。
どうやって死んでいこうか。
自分のことはほんとによくわからない。
友人。数少ない友人。
何かあったら、その時には
悲しくて寝込んでしまうぐらいに
ほんとは大事にしたいんだよ。
思ってるだけじゃ伝わらないだろうけども。